『ゲルハルト・リヒター 写真論/絵画論 増補版』
翻訳=清水穣
淡交社刊 2800円
画家ゲルハルト・リヒターは、1932年、旧東ドイツのドレスデンに生まれた。その後、西ドイツに移住したが、彼の描くフォトペインティング、グレーペインティング、アブストラクト・ペインティングなどの作品は、年を追うごとに国際的な評価をうけ、'90年代から新世紀をまたいで、ドイツやパリの美術館で大規模な個展、4年前にはついにはモダンアートの総本山であるN.Y.のMoMAで回顧展が行われた。
マルセル・デュシャンが、網膜的な快楽のための絵画を否定したことは、今でも大きな呪詛としてアーティストたちに影響を依然もっているし、アブストラクトやコンセプチュアルアートで、戦後の世界アートシーンのメインストリームを引っぱってきたN.Y.も、大きなアートの潮流をうみ出しえていないことも重なり、東独出身のリヒターは、「待望の」スターにも見える。しかし、振り返ってみると、ジャスパー・ジョーンズもロバート・ラウシェンバーグもフランク・ステラも存命なのに、なぜ、ゲルハルト・リヒターがこれほど大きな話題と評価を得るのか、誰もがそう思っているにちがいない。
この『ゲルハルト・リヒター 写真論/絵画論』は、そんなリヒターの'72年から2005年まで、雑誌やカタログのために録られたインタビュー10本と、リヒター自身が書き続けてきた'60年代から'90年の「ノート」が抜粋編集構成されており、彼の考えが生々しく浮き彫りにされた好著である。実は、1996年に一度出され、それが日本においても過熱してきた「リヒター熱」をつくり出すきっかけともなったのだが、その「旧版」に加え、今回新たに2001年から'05年にかけての、つまりアメリカでの回顧展(2001年)以降、昨年までの「リヒターの今」がわかるインタビューが4本増補された充実した本なのである。
さて、このところ、リヒターという存在、彼が絵という行為でやろうとしていることについてよく考える。
彼は、若い頃、新聞や雑誌の写真を使っていることもあって、「遅れてきたポップアーティスト」として扱われたり、あるいは、カラーチャートやモノクローム絵画、アブストラクトなど、およそ一人の人間とは思えぬほどさまざまな絵画スタイルをとったせいで、「20世紀アートのカタログ」、それもシニカルな考えに基づいて、その作業を行っているという解釈に晒されてきた。「絵画のふりをする」「絵画についてのアイロニカルな絵画」そんな言説にさえ、さらされてきたのである。
しかし、このインタビュー集を読むと、彼は、そんな「絵画の不可能性」、モダニズムの限界に対して、不可能ゆえに「希望」を見出し続けようとしていることが、あっけらかんと語られている。例えば彼はこう言うのである。
「運命論、否定主義、ペシミズムは生きるために非常に有効な戦略だということだ。幻想や期待を抱くことが少ないだけに、それは肯定的なものへと転回しうる」と。
ベンジャミン・ブクロー、ハンス=ウルリッヒ・オブリスト、ロバート・ストアら、昨今、評価を高らしめて来た人たち誰もが、リヒターをアートの希望をうみ出すやいなや、否定として提出する「プラスマイナス・ゼロ」の作家として位置づけようとする(とりわけブクロー)。しかしリヒター自身はもっと素朴な感想を述べ続ける。「希望」や「新しい可能性」という単語さえ口にするのである。
「絵画が無効ではないことを僕は知っているのだから、僕が望むことは、ただ絵画がもっとさまざまなことを生じさせることだ」
おそらく、リヒターは彼の死後、今以上に、「最後の偉大な画家」として扱われるだろう。それは、ケージが言った「言うことがないということを言う」という、つまり「芸術の不可能性」ゆえに挑んだ「デュシャン以降」、最大の画家として位置づけられるのだろう。しかるに、この本を読むと評論家たちと、リヒターの「生の声」の落差について、考えさせられる。
僕は、何も、批評家と作者自身をめぐる「正しい解釈」などということを問題にしたいのではもちろんなくて、それぞれの両者の意図を超えて、「時代」がリヒターという存在に、あるいは「アート」がリヒターに対し何を期待し、求めているのかということなのである。このインタビューは、それをめぐる「寸劇」とも言えるものだ。
リヒターは東ドイツから、1961年に西側にやってきた。そして、消費の中にあるイメージを扱いはじめる。彼は注意深く写真を選び(無作為などではない。彼は「絵を描くために意図された写真」を注意深く排除しているのだ)、写真を描くという、彼が最も無意味だと考える徒労な道を選択する。それはまず自己表現ということを切断することにより、表現を再スタートさせることであった。
通常ならばこのことは、ウォーホルのように消費資本主義のイメージシンボルを、できるだけ機械的かつインスタントに(ポラロイド、シルクスクリーン、テープレコーダー)アートに侵入させることであるのに対し、リヒターは、ご苦労なことに、写真を描くことを、表現のスタートとして選んだ。しかし、これはリヒターがリヒターとなった瞬間と言ってよい。
彼は描く。無意味となったものを。彼は注意深くレディメイドな世界を描き出す。写真も、絵画も、カラーチャートもすべてはレディメイドだ。我々人類は、あっという間にレディメイドな世界に生まれ、育ち、死ぬようになる。思考も、まなざしも、すべてレディメイド。いや、レディメイドは我々にとって、第2の「自然」でさえある。しかし、リヒターは、誰よりも描きたいにもかかわらず、描くことの快楽、官能を自己抑圧してきた。昨今のインタビューでは彼は自己を振り返りこう言うのだ。
「マティスのような絵画が欲しいんだ」。それをうけて、ブクローは「君の仕事においては、最初から絵画の快楽主義的な側面がつねに厳格に禁じられてきた」と見事に指摘する。リヒターはそれをみとめるのである。「……人工的な楽しさ、歯を食いしばり、脅迫的な楽しさだ」と。
先日、佐倉の川村記念美術館へ行き、彼の作品を見て過ごした。金沢での回顧展の時には行けなかったのだ。川村美術館で以前、リヒターの「アトラス」を見たことはあったが、彼のさまざまなスタイルのペインティングをこれほど、まとまって見たのは初めてだった。その中を歩きまわりながら思ったのは、今、ここにあげた彼のコトバのことだ。
描くことと、見ることの官能はちがっている。それに絵を描くことの官能も、絵によって、それぞれちがっている。僕は絵を見る時、より多くの絵の官能にそって感じたいと思う方だが、しかし、この会場に、心から好きだと言える絵があるのかという「宙吊り状態」で何度も絵の前を歩いた。
彼の絵は、さまざまな批評により価値づけされているけれど、裸の彼の絵には、クールに禁欲化されたエロスや、また、色のカオスの中に迷いこませて、気を遠くさせてしまうような恍惚境がある。それはアブストラクトということの「純化の果て」に彼が辿りついている場所だ。僕はそれにとても惹かれる。
彼は、これらの絵を感情のほとばしりや、好き嫌いでスタイルを決定したのでもない。しかし、絵を描くことの「不可能性」がもたらした「描く」という態度は、絵画の「純化」をもたらすことになったのだ。
彼は20世紀のアーティストの多くがそうであったと同じように、精神分析学を伴侶として作品をつくってきた。しかし、誤解してはならないのは、それは作品に、シュルレアリストたちのように隠されたシンボルを隠すという戦略ではまるでなくて、絵というものは、作家の意図を超え「生まれてくる」という態度なのだ。彼はこう言った。
「“逃走”という考えは、つねに現時点でおこるもので、その“逃走”の観念はできごとに立ち向かうのであって、過去へのノスタルジックな逃走でもなければ未来へのユートピア逃走でもない」
「作品は計画されていないし、制御されてもいない、むしろ生じるんだから」
彼は自ら、自作が「無意識」や「偶然」の産物だと公言するのだが、それはシャーマン的なオートマチズムではなくて、レディメイドなものを選ぶ手順にある。シンボルや、意図や意見、物語性から逃げ続けること。自分が撮った写真さえ、他者が撮ったもののように見えるまで放置すること。その手順は「無意識」などではなく、きわめて意識的に行なわれる。
彼はそうやって描き続けてきた。その絵画の戦略性は、彼の意図を超えて、彼を「最後の画家」というポジションに押し上げてしまった。彼はそれを目指していたわけではないだろうに。だが、ある時から、彼もそのことに自覚的になっていったのだろう。彼は今、自らを「保守的な画家」と言うのだが、面白いことに、しかし、それでいながら、かつての画家たちがもっていたような「確信」を自分はもっていないと吐露するのである。「最後の画家」という特異点にいる画家が、なぜこのようにヒロイックでいられないのか。
それは、「最後の」という、彼が、そして我々が囚われている「オブセッション」の問題なのだと思う。「最後の」と言うが、ゼロへ戻ってしまうということは、実は、もうとっくにすでに起こったことではなかったか。それも何度も。例えば、20世紀には世界戦争が起こり、それは「爆発」というものを我々の世界にもたらした。しかも、すべての意味、感情、生、いや死すらも無化されることの反復。それは巻き戻されるフィルムのように悲惨で、滑稽だ。アートもまた、他の文化と同様、「切断」喪失の体験をした。だからこそフロイドやユング、ラカンによる精神分析学とアートの関係は、消失したものを癒し、慰安するための回復行為としてあったということが、もっとはっきり言われてよい。そして、再度言うが、戦争がもたらす「爆発」=ゼロ化は、これからも何度も反復されるだろうということも。
リヒターの絵は「事後」の行為である。「爆発」のあとの作業だ。だからこそ、彼が描くものすべては断片で、全体性や一つの物語には決して再結像することなどない。しかしだからと言って、彼は抑圧しながらも、「純粋に描く」という快楽の運動をやめることはない。彼の最良の作品は、「純化」の過程で普遍の強度へ到達したものであり、最悪の作品は、ちょうどデュープし続けたフィルムの画像の力が劣化したようなものだ。アブストラクトペインティングの部分を写真で拡大して撮り、それをまたペインティングした『WAR CUT』の試みは、その純化技法の開発例と言ってよい(それを戦争という爆発とリンクさせているところも面白い)。
だが、「事後の世界」を生きているのは、リヒターばかりではない。もうとっくに「歴史の終わり」とか「最後の」などという世界そのものが終わっていて、終わりをつくるために始めるということさえもうないのだ。
なぜそういう考え方が今は成立しないのに、また考えようとしているのか?
なぜ「最後の」などと考えたがるのだろうか?
なぜ「最後」を繰り返すのか?
「みじめ」であること、「どこか貧しいイメージ」しかもちえないこと。リヒターの発言には時々そのようなコトバが顔を出す。それは先の「確信がない」ということと結びつく。
だからと言って、僕はリヒターの絵を否定したり、つまらないとは思わない。あのスキージを使い、機械的にひっかいて、デカルコマニーみたいな効果のある'80年代のアブストラクト・ペインティングにはかつてないほどの「ピュアネス」を感じる。そして、ロラン・バルトが言う「狂気の愛」を思いおこさせる「オイル・オン・フォト」。巨大なイメージのサンプリング・ソースの地図というべき「アトラス」。それらの中には、「20世紀的なアーティスト」としてのリヒターの限界を超えた、「何かの芽」があると思う。いや、もっとはっきり言えば、とりわけ「アトラス」や「オイル・オン・フォト」は、見る者に何かのイリュージョンを結像させようとする装置ではもはやなく、スキゾフレニックに分裂したイメージが「時折」意識に焦点が合うように意味をなす、そんなストラテジーが生成していると思われる。それは、リヒターがリヒターを逸脱しえたものとして、おそるべき強度と可能性を持ちえている。
川村美術館に来て、リヒターを観てよかったと思った。なぜなら、今後、リヒターを崇拝したり、過度にもちあげたりする風潮に惑わされなくてよいと思えたから。終わりも始まりもない今のこの世界の中で、さまざまな絵描きたちが、「無意識」という方法をあいかわらず使ったり、あるいは全く別な表現の回路を捏造し、絵を描き続けてゆくだろう。その時リヒターは、時々、厄介な亡霊として、ふいに表れてくるにちがいない。
この「事後の世界」を旅するには、リヒターという亡霊の浄霊術を身につけていなくてはならないだろう。オブセッションの「おとし方」と言ってもいい。
リヒターの絵には、またどこかで遭遇するだろう。その時、どんなことを僕は考えるのだろう。
それがとても楽しみなのである。