部屋を大掃除する。そうすると、とんでもないものに出くわしてびっくりする。さがそうと思っても、決して出てきてくれないのに、関係なく。
過去のものをあらいざらい捨ててしまおうと思って、分別していると、突然いろいろなものが出てくる。書き出すと限りない。僕が自分にとっての「先生」だとはっきり言えるのは、詩人・田村隆一と文化人類学者・岩田慶治だと思っているが、田村先生といっしょにスコットランドに行った時、道中の列車の中で隠し録りしていた会話のテープおこし原稿がごっそり出てきた。西脇順三郎のことを話してる。
「シェイクスピアの『ソネット』も訳してる。それから『居酒屋の文学』という評論集があるんだよ。要するにね、文学は居酒屋から生まれる。イギリスの文学ってのは、パブで生まれた。一種のパブ論だよ。……日本酒で一番いいお酒というのは、水の如くスルスルと入るのが一番いいお酒なんだ。だから英語だとさ、アルフィッシュというんだね、大酒飲みのことを。魚が水を飲むみたいに飲む」
——先生はどんな魚ですか?
「僕が自分で鏡を見てつくづく観察した所によると、かますの干物だね。でも、もうもどらないね(笑)。やはり、もうちょっと生きていたいなと思うのはね、あなた方が60歳を越した時にどんな風になってるかを、ちょっと見たい、そういう興味かなぁ」
——先生は百才をこえてますね。
「あと20年ぐらいだろ」
——いや30年ぐらいですよ。
「すると98才だな。でも、神様はそんな残酷なことはしないさ(笑)」
不思議なもので、そう言ってた先生が死んで来年で10年。鎌倉文学館から、展覧会についての相談があって、どうしようかと思っていたら、箱の中から先生があらわれた。「うせもの、出る」。
他のものもある。僕はインタビューが多いから、資料がやたら「地層」になっている。スーザン・ソンタグが死んだ時、木幡和枝さんが書いた文章のコピーが出てきた。タイトルは「Let me see when I can came back again. 東京、京都、ニューヨーク最後の旅」。2002年の旅の思い出が綴られている。帝国ホテル、四ツ谷の路地の鮨屋、ゴールデン街の「ジュテ」。シンポジウムでの彼女の発言。
「安寧は人を孤立させる。孤独は連帯を制限する。連帯は孤独を堕落させる」。京都は八坂神社裏の宿。南座、千花、清水寺。奈良は二月堂。田中泯『たそがれ清兵衛』……。このコピーを田村ファイルの中に入れる。順番はシャッフルされ入れかえられ、記憶はミックスされてゆく。これでよい。
秦早穂子さんのコピーも出てくる。92年の『ミセス』の原稿だ。書き出しは「21世紀まであとわずか。その間に女の服装は変わるだろうか?」という書き出し。タイトルは、「みんなと渡る道には自分の美しさはない」とある。本文のコトバを編集部が抜いたものだろうけれど、秦さんの毅然としたあの顔を思い出す。元気にされているだろうか。秦さんを、コワイ人だと思う人も多いかもしれないけれど、あんなチャーミングな人はいないと僕は思う。タバコやお酒は、どうしているだろう。資生堂とかで、いっしょにごはんやお酒をしてから、ずいぶんお会いしていないなあ。
もう紙は黄ばみ、文字は退色してほとんど見えないFAXペーパーも「地層」から発見される。それは僕が編集長をしていた日本美術誌『古今』に寄稿していただいた志村ふくみさんのエッセイ、それは「色を求める日々」と題されている。書き出しはこうだ。
「朝めざめたは、何故かこんな歌が浮んだ。
誰が染めし やまといろなる百草《ももくさ》の
そのひといろを 吾《われ》も染めまし」
歌をつくったことのない志村さんが、はじめてうたった歌が書かれた手書き原稿。ゆっくりよみかえし、僕は自分の体の中に、そのコトバを入れてゆく。まるで、年代を経たワインか何か、成熟したお酒を飲むかのように。
おどろくべきものもある。それはモノクロ写真の紙焼きの束で、2人の男が写っていた。一人はまだ若い中沢新一氏、もう一人は、ホルガー・シューカイらと伝説のプログレバンドCANをやっていたジョン・ハッセルである。中沢さんは、『チベットのモーツァルト』を出したばかりの頃で、ちょうどアルバム『マラヤの夢語り』をリリースして来日していたジョン・ハッセルとセッティングし、対談してもらった。その対談をどこに載せたかはまったく記憶にないが、その対談のことはよく憶えている。写真の不思議。当時は、モノクロの写ルンですがあって、それで僕は撮ったのだと思う。まだポラロイドをやり出していない頃だ。ていねいに掘りおこせば、もっともっといろんなものが出てくるだろう。でも思い出にふけったりはしたくない。体の中に入れたら、次々に捨ててしまおう。先へ進もう。
僕が書評を書いていた『エスクァイア』のバックナンバーを見ていた。バリ島旅行の特集号。実は僕は、バリへは行ったことはない。ずーっと前に、行こうとしたら、いっしょに行くはずだった友人の吉谷博光が直前に寝込んで“おじゃん”になって以来、縁がない。「そろそろ、OKってことかな」とも思う。うしろをペラペラ見てたら、NY小特集があって、「ワールドトレードセンターで売れている本」というコラムがあった。あわてて日付を見直すと2001年6月(!!)。9・11の3ヶ月前。ワールドトレードセンターで過ごしてる人が読んでたり、聴いてたものがリスト化されていた。ハリー・ポッターなどの魔法っぽいノベルス、2001年のニューヨーク人気レストランガイド。そしてブルース・スプリングスティーンのライブ盤。まさか、あんな大惨事が待っているとは、誰も予想しなかった。しかし、すべては失われてゆく。奇妙だが、そのようなものなのだ。起こることは起こる。起こる時に起こる。
暑い日がまだまだ続くだろう。カラッポにするにはいい季節だろう。さて、次はいかなるうせものに御対面するのやら。