『JP-22』
松江泰治
(株)大和ラジヱーター製作所発行/TARO NASU GALLERY販売
8925円(税込)
写真とは、観測機がとらえるイメージである。それがスナップであっても、電子顕微鏡写真や天体望遠鏡写真と等しく、観測写真なのだ。機械が自動的に撮ろうと、人が撮ろうと、「写真」というプリントになってしまえば、それは同じく写真であって、その写真の良し悪しや意味の判定は、ただひとつのことにより行われる。それは、「想像以上か以下か」、である。人間はイメージする。木星の地表であれ、ウィルスの世界であれ。しかし、人間はゼロから、つまり「無い」ものからは想像できない。したがって、真に人間を驚かすイメージは「外」からやってくる。
この松江泰治のランドフォトの、写真史的な「比較」「評価」に僕は興味がない。そんなことよりも、観測写真が人のもつイメージを超え、あるいは、「意味」を超えうるか。松江写真が「外へ」辿り着いているかを、写真を見ながら自己テストしてみる。巻頭・巻末は「以上」、真ん中は「以下」だと思う。グーグルマップで、誰もがリアルに地球が観測できる今、それこそが「松江泰治の写真」のライバルなのだという意識が必要なのだと思った。