今年の一月の終わりから表参道ヒルズにあるゼルコバテラスに引っ越すことになった。僕は長く編集の仕事やキュレイションの仕事をしているのだが、ちょうど一年前、六本木の芋洗坂にmagical, ARTROOMというオルタナティブ・ギャラリーを共同でオープンさせることになって、オフィス部分も六本木に引っ越していたのだ。しかし、偶然の神様も味なことをするもので、面白いことに、また表参道に舞い戻ることになった。よくよく表参道界隈とは縁があるらしい。
というのは、僕は大阪生まれで、京都の大学で学んだけれど(そしてこの数年間は、京都造形芸術大学のアートプロデュース学科をやっているので、週半分は京都生活。これもまた運命のいたずら)、東京に来てから、80年代は青山にも住んでいたし、仕事場もずっと神宮前あたりを移動して過ごしてきたからだ。随分長い間、このあたりで過ごしてきたものだと思う。
僕が東京にやってきた70年代の終わり頃はセントラルアパートやレオンという喫茶店があって、そこに行けばファッションデザイナーやカメラマンたちが、打ち合わせや、本を読んだりしていた。京都とはまた別の居心地のよさを感じて、僕はすぐここに住むことにした。表参道周辺のいいところは、エッジな店や人が多いのに、落ち着いた家や、路地裏の喫茶店、お店がいろいろあって、波動がとても軟らかいということだ。青山の交叉点や裏原宿あたりは、随分店も変わったけれど、大きな目で見れば、そのオーラは今でも健在だという気がする。神宮前3丁目あたりで3、4回引っ越したけれど、いつも打ち合わせは表参道あたりの喫茶店を指定して、裏道を散歩してゆくのは、なんとも楽しいものだった。
80年代の前半だと思うけれど、ある冬に、急に大雪になり、あたりは突然まっ白な世界に変わってしまった。その時、ウォークマンでアート・オブ・ノイズを聴き、歩きながら見た光景は今でもわすれられない。
また今でもそうだが、表参道周辺にはたくさんのデザイン事務所が集まっていて、僕はよくレイアウトや打ち合わせのため、友人のオフィスで夜中を過ごした。ある時も、明け方になり、家に戻ろうと246通りへ出ると、朝焼けの中で虹がかかっていて、まるで奇跡のような瞬間だと思ったのもよく憶えている。それから、北青山団地の住民が育てた庭の花の美しかったことや、同潤会アパートの屋上に自然にできてしまっていた屋上庭園に、友人が「秘密の庭があるんだよ」と言って連れて行ってくれたことも忘れられない。
振り返ってみると、表参道という場所には、何かものをつくり出す人を集めたり、エネルギーを与えてくれる磁力のようなものがあるんだと、心から思う。今は人通りも増え、一見すると他の東京のエリアと変わらないようにも思うかもしれないが、その磁力は今でも変わらない。
このあいだ、雑誌のインタビューのためにUNDERCOVERの高橋盾さんのアトリエに初めて行ったら、そこは僕が以前オフィスにしていた場所のすぐ隣だったので驚いた。時は流れても、入れかわり立ちかわり、いろんなクリエイターが活動の舞台にしているのだ。
都市の成熟、都市のクリエイティビティとはどんなものだろうかと考えることがある。それはある時までは、利便性だったろう。ハイテクノロジーで装備された近未来空間。でもその実現への情熱よりも、web空間におけるコミュニティ空間、グローバルなネットワークへのエスケイプに人々の欲望は、加速度的にスライドしつつある。だから逆に、住まいやオフィス空間はきわめて、静かで、ゆったりしたものになってゆくのかもしれない。おそらく都市の貌もそのようになってゆくだろう。
元旦に細野晴臣さんの新しい本『アンビエント・ドライヴァー』を読んだ。細野さんは、はっぴいえんどや、YMOを経て、スケッチ・ショウではラップトップコンピュータ一つで、音響系にまで活動の領域をのばしているのに同時に、図らずも昔のメンバーとアコースティック・ユニットに取り組んだりもしている。そしてこうつぶやくのである。
「人間の一生というのは円を描いて元いたような場所に戻ってくるものなのだということがよくわかった。ただし、同じ場所に戻って来たようでありながら、実はそうではなく、遙か彼方にいるのだという気持ちも強い」(「気づいたらここまで来ていた」より)
そう、あたりまえのところに帰ってきているのに、実はすごく遠くへきている感じ。表参道エリアに帰るというのは、実はその感覚に近い気がする。というのも僕が今一番関心があるのは、アートやデザインという領域のことだからだ。「もうこの世の中に新しいものなんてない」といくら偉い学者が言っても、アートやデザインの分野では、かならず不定型で、未知な感覚があらわれてくる。表参道は、そんな感覚が圧縮されたり、ぽこっと生まれたりするような不思議な磁場の力があると思う。僕は、これから、表参道で新しいことを始めようと思っている。そのドキドキを想像しただけで何かすごく楽しくなってくるのである。