今日はKLM0862。白ワイン2本飲んで、メシを食って、食後はコーヒーとベイリーズで仕上げ。機内映画。前の席の人を見ると、ペドロ・アルモドヴァルの『ボルベール』をまだやっている。東京じゃ、まだ一般公開してないけど、もう4回も見た。ちょうど1年前にスペインで、昨年秋にヴァージン・エアで、そしてロンドンからの便の中で、東京の試写で。今、5回目、アムスへ向かう飛行機の中。きのう銀座で深夜、女性3人といっしょにゴハンと酒。その時、『ボルベール』の話となった。
僕は40才ぐらいの時、初めて自分がスーパーマザコンで、カソリックもびっくりな女性崇拝者だってことに気づいた。超遅すぎ。20才前に母親が精神分裂になったり、自殺したりという事件が、ここまで僕に影響を与えることになるなんて、まったくわからなかった。昨年訪れた宮古島のユタさんが言ってたみたいに「女難の相」もあるらしい。はてどうする?
ねむくなる。きのう寝ていないし、アルコールがまわってくる。画面を見ると、ママンが小さな赤い車の荷台からそっと出てくるところ。おかあさん、あんたは、なぜか、俺を泣かせる。デッドマザー、ゴーストマザー。女たちから女たちへ。女たちの宿命の輪。炎の輪。ファイアー・リング。
ペネロペ・クルスが、隣の食堂でのパーティーのシーンでうたう歌、ボルベール。僕はその曲を3回目に見た時に、不覚にも少しだけ泣いた。決してセンチメンタルに同情したのではなくて、けなげな美しい女の姿にやられたのだと思う。その反動でマリアとママンにすべて救われるラテン男のことも想像する。同時にトニー・ガトリフの『ベンゴ』で殺し合いにふける男たちの精悍な顔も思い出す。『ボルベール』は、僕にとって、別れと出会いの、記念の映画となった。生涯わすれることはないと思う。さて、スペインに行く時が近づいているのだろう。