塩田君はビールが好きだ。夏が終わって秋がやってきた。暑くもなければ寒くもなくて、でも夜がきても、まだ空は青く、白い雲がビルの上を動いてゆく。それを見ながら僕たちはビールを飲む。昼の仕事を終えたビールは格別さ。近くのグロッサリーに行って、レッド・ストライプやアムステルライトやブルックリンラガーをしこたま買ってきては、クラクションや、若者でごったがえす店の喧噪をききながら、ビンをあける。
今夜はホテルの部屋で、夜空を見ながら。部屋には、ヒゲづらの塩田君と、京都からやってきて、僕と塩田の部屋に居候しているユウジが右と左の椅子にすわって、タバコをふかしながら、ビールをどんどんあけてゆく。僕はベッドにすわったり、床にすわったりねころんだり。ラジオをつけると、名前がわからない、89.9の局で、フリージャズがガンガンかかっている(この局は超優秀で、今週の昼間はソ連の現代音楽作曲家のショスタコーヴィチ生誕100周年(150周年?)の記念プログラムをやっていて、すべてのアルバムをかけ続けている。朝はインド音楽だし)。
今夜はアーティー・ショップ。そのあとコルトレーン。外のノイズとジャズが、こんなにカッコよく似合う街はNY以外にはない。僕はインタビュー用に使ってるテレコを出して窓ぎわにおいて、フィールドレコーディングする。そのうちまたやろうと思ってるポラを使ったスライドショーのためにね。「素敵だね、ニューヨークの夜って」。塩田君がごきげんで言う。ああ、最高だよ。
次の日の夜。フランクさんとの夜ゴハンを抜け出して、僕らはグッゲンハイム・ミュージアムへタクシーで乗りつける。お目当ては、ジョン・ゾーン&コブラ。フリーミュージックを聴きに行くのさ。ちょうど、ジャクソン・ポロックの初期の展覧会をやっていて、その関連イベントとして、フリーミュージックをやるのだ。行ってみると、地下にあるフランクロイドライトがつくった小ホールは満員で、いかした大人の客ばかり。僕らは一番前にすわり、足をのばして見る。やがてトロンボーン、パーカッショニスト、エレクトリックギター(マーク・リボーもいる)いい年のオッサンたち12人(すべて天才のなれのはて)がステージにあらわれて、プロンプター役のジョン・ゾーンが次々に出す「カード」にあわせ、大忙しでフレーズを吹き、ノイズを弾き、ドラムやかねを叩きまくる。ナンセンス。
アヴァンギャルドとは、無意味なことを、実に誠実に、とことんやることだと思う。ポロックも実はそうだったけれど、徹底してはできなかった。心理学や神話学につかまりがちで、彼の作品の「アクション」も、心や身体をリリースしえなかった。しかしその格闘の生々しさが今も僕の心をとらえてはなさないのだけれど。
ジョン・ゾーンは、音楽という、その場で生まれ、そして消えてしまうというすばらしい利点を使って「フリー」な音の場をつくり出す。ヤツはできる男だ。だから僕らはむしょうにおかしくなって、ゲラゲラ大笑いし、「演奏」がおわると大声でその「無意味さナンセンス」をほめたたえた。いやあ、大人になってよかった。本当にゆかいな夜。
演奏が終わり、ライト設計の1Fにあがるとワインやビール、そして軽食、スイートが用意してあり、無料でふるまわれる。フリー、フリー、フリー。その上、エレベーターで4Fにあがって、ポロックの作品も見れる。ラッキーな夜。僕は調子にのって、塩田、小谷、相田たちに、初期ポロックについてガイドをしてしまう。「わかる」という手前をつかまえることをポロックはやった。それはとても危険で、彼はそのために生の「スピード」をあげて、死んだようなものだ、とかね。僕は何年かかけて、書き下ろして「アブストラクト・ジャーニーズ」という絵画論を書こうと思ってる。ちょっと酔っぱらって、ポロックを見る。見終わって外へ出る。天気はよくて、夜空に白い雲が見える。
また次の夜。僕と塩田と、NYに遊びにきたヌメロ編集部の服部円の3人でブルックリンのライブハウス・ガラパゴスへくり出す。地下鉄Lラインに乗ってね。何とあの伝説のバンド、「サイキックTV」のライブを見るために。
ベッドフォードストリート。それにしても深夜のブルックリンほど魅力的な街はない。小さな店はにぎやかに音楽をならし、金はなさそうだが自由な若者たちが笑いながらたむろって、地下鉄の出口で、僕にもわけのわからないバンドの小さなフライヤーをくれる。いいカンジだぜ、なあ、塩田、円。ワクワクするよな。
うすぐらい、ぼろぼろのガラパゴスの中。カウンターの上に足の不自由なミニスカート姿の黒人の美女が松葉杖をつきながらのぼって笑っている。これも店のショーなのだ。前座の3人組を聴きながら、またビール。客がだんだん集まってくる。そう。ここもいい年をこいた大人たち。12時をまわると、バックステージ(ここは2つのステージがある)の方へみんな移動。おっと、もうライブが始まっている。ヤバイじいさんや、制服姿でツノをつけた大男、髪を振り乱して踊る女、ファッション業界スジのような女たち。
サイキックTVは、その前身をスロッビング・グリッスルと言った。ちょうど70年代から80年の頭ごろ、パンクとインダストリアルテクノがかけあわされて、マジカルなグループがたくさんあらわれた。タキシード・ムーン、キャバレーヴォルテール、ニューオーダーの前身のジョイディヴィジョン。みんな僕のお気に入りだった。しかし、それらと同じ時代で一番デビリッシュで恐怖を与えた存在がスロッビング・グリッスルだった。ジェネシス・P・オリッジは恐怖の帝王だった。その後、彼は性転換し女になり、バンド名もサイキックTVとなった。ときおり、その活動の情報やインタビューは読むことはあったが、まさかNYで遭遇するとは思わなかった。
バックのスクリーンにはエクスタシーに達する女の映像や、キューブリックみたいな目の手術の映像、あるいは彼らのスタジオライブ風景、地下鉄の中のジェネシスなどが映される。性のアノーマリーたちのコミューン。もう25年も活動を続けているのだ。
ジェネシス、白髪の悪魔は、甘い声でうたう。ルー・リードやイギーだってそうならなかったのに、彼だけが一線を超えた。そして死をも超えて、生き続けている。スケアリー&スイート・モンスター。甘い甘い夜だけれど、これほどまでに悲しい夜もない。踊り出したくなる。叫びたくなる。塩田君は、やり切れなくて、うろうろしている。服部円は目を光らせて、椅子の上に立って見ている。まわりのオヤジたちは、なんで子どもみたいな女がここにいるんだろうと思ってるだろうな。僕は、わけのわからない連中にまじって、体をくねらせて踊る。叫ぶ。勢いあまって、塩田君がとめるのもきかず、ピンク色のサイキックTVのトートバックを買ってしまう。「ヤバすぎだよ」「カッコイイよ」全然不良なカンジ、オカルトなカンジ、アブノーマルなカンジがない。不思議な多幸感。
僕は、アノーマリーたちを愛している。悲しさを知っている分、普通の人間たちよりも優しいから。でも、この夜はラブリーすぎるかな。
2時半頃、外へ出ると、いい感じの真夜中が広がっている。ゾロゾロとどこかへみんな散ってゆく。3人でタクシーをひろって、ブルックリンブリッジをぶっとばしてホテルまで帰る。途中、ロウアーイーストサイドで服部円をおろしてバイバイ。手を振る。あいつは、メイリンのところに居候で、床に寝袋で寝てる。また遊ぼうぜ。
NYの夜ほど素敵なものはない。さて、明日の夜は、どんなことにまきこまれてやろうかな。
数日後、坂本サンのところへ行った時、ジョン・ゾーンとサイキックTVの話になった。「僕の友だちで同じように両方行ったってヤツがいたけど、サイキックTVはどうだった」と坂本サン。
「なんか超スイートで」と僕。
「何それ。25年たつとそうなっちゃうんだ」そう言って、あきれられた。
ドイツ人の友人は酷評してたらしい。でも僕はとても好きだな。悲しく、けなげなもの。やっぱり深く愛してしまう。これも病気だなー、僕のね。
ニューヨークの夜のすごし方のお話でした。