本当にひさしぶりに、裏道を抜けて、獅子ヶ谷から天園へ登ることにする。桜は終わったが、たくさんの花が咲きみだれている。天気はゆらいでいる。雨が降り寒いかと思ったら、急に初夏を思わせる空気が流れこんできた。突然の陽気に虫たちが異様に飛び交いはじめる。僕もつられたように外へ出たくなる。
鎌倉は、日中は関東のあちこちから観光客が集まってきて、とても外へ出るのもはばかられるけれど、日が傾きはじめると、まるで海の潮がひくように、すっかり誰もいなくなる。それを見はからって外へ出る。田村(隆一)先生の家の角まできたら、車が車庫から出てきて、お母さんとみさこさんと御対面。
「おひさしぶりね」
いつお逢いしても、艶々とお美しい。昔、マガジンハウスから田村先生の『詩人の日曜日』という本を出したことがある。あの本は先生の死後、絶版だけれど、あの本を増補して新版をつくりなおそうかしらん。そろそろ考えてもよい頃だと思う。
二階堂川の上流を歩く。この坂道の入口あたりで、写真家・高橋恭司と田村先生のポートレイトを撮影したのを思い出した。もうあの写真も消失してしまったろうな。でも、背景にあった谷戸の小道は10数年以上前と少しもかわらず、かつてあったと同じように荒れはてている。薄暗く、地層がむき出しになったままで、おそらく鎌倉時代の落ち武者たちも、この風景を背景に、荒い息を吐きながら、この道にすわりこんでいたことだろう。
ぬかるんだ坂道をのぼる。小さな「木の橋」をいくつもまたいで。木立をみあげると、楓の小さなミドリの葉が、空の光にすけて美しい。冬をくぐり抜けた樫の大木があって、その乾いて清潔な幹に抱きつく。山の斜面にはもう誰一人いない。岩がミドリでおおわれはじめている。もう一カ月もすれば梅雨になり、この坂道は、水量がふえて登れない。そして熊笹とかのミドリの強い草でおおわれ、人の道も、けもの道とかわらなくなってしまう。
途中、新しくつくった坂道があった。山頂手前は急勾配になっていて登りにくいので、誰かが整備したのだ。おかしなことに、その小道には「女坂」という名ふだがつけてある。もう何年もすれば、これがこの坂の「地名」になってしまうんだと思うとおかしかった。
もうすぐ天園だ。天園、誰がつけた名だろうか。とても、いい。山頂の名を天園というのだが、でも僕は、この山の名を知らない。
山の名前なんて、なくったっていいさ。歩いて30分ぐらいのところに、天国のような天園という名の場所があるのは、とっても楽しいことだ。ミドリの中をぬけ、やっとのことで山頂につく。あまりみんな指摘しないが、鎌倉は亜熱帯だ。ここのミドリは深く、恐ろしい迷路なのである。山頂は、岩でできている。それは海の中につき出た、島になりそこねの小さな岩を思わせる。岩の先端にすわりこみ、眼下を眺める。
なんていろんなミドリがあるんだろう。どんな必要があって、こんな多様なミドリが生み出されなくてはならないんだろう。天園に登るたびに、この地球全体が、太古には海だったのだということが、リアルに体感される。そう、僕は海の底に棲んでいる。二階堂川は、海の中を流れる川だったんだろう。そして、今は谷を、水のかわりに風が流れおちてゆく。
遠くに江ノ島が見える。そのむこう、春のかすみの中に、オレンジ色の太陽が見える。僕はしばらく風に吹かれていた。そしてまた、山道へもどる。秋ならとっくに、真っ暗だったろう。ほとんど人には逢わなかった。逢ったのは、迷った小犬と、それを追いかけてきたおばさんが一人。楽しみながら、ミドリと匂いを満喫しながら降りた。途中で黄昏が静かにせまってくる。極紅のピンク色のつつじの花が、闇の中につき出された花束のように光輝いている。そして、地にゆれる著莪シャガの小さな白い花も。覚園寺の方へ出てみると、近所なのに、まったく別の、見知らぬ街にまよいこんだみたいな気がした。