飛行機の中は、一番ぼうっとできる。電話もかかってこなければ、誰とも話をすることもない。僕はこの世で一番、飛行機がこわいのに、そこでしか、ぼうっとできないなんて。不幸だよ。
前の座席の人が見ている映画を、うしろからのぞき見る。それは、リメイク版の『南極物語』で、氷の中に置き去りにされた犬たちの物語だ。なんと犬は、けなげなものだろう。僕は、犬が好きだ。子どもの頃、ある悲しい出来事があって、今でも犬を飼うことはためらわれるけれど、犬が好きだ。雪原で、彼らは、なんと、けなげなことか。
僕は子どもの頃から、どもりだったので、大人であれ、子どもであれ、人間はきらいだった。それは今でも、体の中に深くしみついている。犬、金魚、サボテン、石、そして自転車で遠出すること。それらが僕の友達だった。年齢がゆくと、他の快楽がふえて、そんなものは消えてしまうのだろうと思っていたが、逆だった。孤独が治癒されると思っていたがまちがいだった。やはり、僕の友は、けなげなものしかないということなのだ。それを愛するし、それを大切にするということだ。僕は、けなげなもののために、自分を捧げてもよいとさえ思う。なぜなら、逆に、僕の生は、けなげなものがもたらしてくれる力によって支えられていると思えるからだ。
いや、ほんとうは、これではいけないのかもしれないな。
僕が君をどこかへつれてゆく。君が僕をどこかへつれてゆく。そうすべきだ。自分の世界は、いつになってもさびしいものだ。さびしさも快感のうちだが、それを超えてゆくものを探そうよ。
めずらしく、このスキスキ帖はさびし気な調子になった。