男の生き様、男の一生とは、どのようなものだろう。仕事、名誉、金、恋愛。それらは、どの男にもついてまわりながらも、しかし、誰一人として同じものもなく、正解というものもない。手本を求めたとて、誰かさんのように生きれるわけでもなく、当たり前だが、自分を生きるしかない。
青山二郎は、小林秀雄や中原中也らの友であり、白洲正子の師として知られる。装幀家であり、卓抜した古美術の目利きだったが、男のあり方を思う時、僕は、なぜか青山二郎を思い浮かべてしまう。
しかし、白洲正子が書いた青山二郎についての本であれ、今、僕が見ている『別冊太陽』であれ、誰もが、青山をつかみかねている。彼は、何かを「専門」として生きた人ではないからだ。青山自身もこう書いている。
「元来が余技である。私は画家ではない。この頃私が文章を書くのを見て、余技がまた一つ増えたと友達が言ってゐる。近い将来に私は油絵の個展をやる。これから道具を取揃へて始める気なのだが、これも余技である。骨董の余技にいたっては30年の余もやって来た。勿論、人生何と言ってもいゝ、人の口に戸はたてられない」
(「本の装幀について」)
すべてを余技と言い切る男。けれど、世間からすれば、とても余技などではない。彼の骨董狂は、14歳の時にさかのぼり、全資産をつぎ込んだものだし、油絵にしても中川一政じこみ。戦争中には、疎開した伊東で、500冊ものキリスト教の本を読み、蒐集した2000枚のレコードと骨董の山に囲まれた中で、何と「千利休」についてのノートを書き綴った。「富岡鉄齋」「梅原龍三郎」を論じ、とりわけ「小林秀雄との三十年」では、「批評の神様」を裸にした。厄介だが、悪意は感じない。『青山二郎全文集』には、彼の透徹した「眼」が遍在する。そして彼はつねに、自然体で、告げるだけだ。
「小林の文章にはなんとも言ひようのないポーズがある。さのみ重要でもない事物や思索に対して、重苦しい暗いポーズを取る。彼の写真は何時でもポーズを取ってゐる。何故ああいふ顔をしければならないのだろう」
(「1956年のノート」)
青山二郎の「全文集」は、玉石混交の本である。はっきり言って悪文だらけ。あちこちぶつかっては、何かが砕けちった記録だが、しかし、そこで彼は、誰も得たことのない無二の光のきらめきを得た。
「勿論好きで遣ってゐることだ、借金を質に入れても借金を買ふこと、小遣ひではたうてい駄目である。生活を棒に振って生活を買って見るのが、私の信念だった」
なんという痛快だろう。僕はここに男の生き様の極、ダンディズムを見る。
「大事なのは思想ではない、その思想が発見したものである。その表現である。
大事なのは恋愛ではない。その恋愛が発見した相手である。その愛し方である。
大事なのは金銭ではない。その金銭が発見した宝である。その消費である」
このフレーズを青山二郎は55歳の時にノートに書いた。そしてその後20年以上も生き、突如、土地を売って転がり込んだ大金で、何不自由ない生活を過ごし、77歳で昇天した。
死後見つかった紙切れには、「何の未練もない」と書かれていたという。なんと、憎たらしいほど自在な人生だろうか。
※ぜひこの2冊は読むことをすすめます。
『青山二郎全文集』(上)(下)ちくま学芸文庫
『別冊太陽 日本のこころ87 青山二郎の眼』平凡社