邪気のなさということ
2日に1度の、新幹線のぞみ往復生活。スケジュール管理の無謀さ故の事態、いや、極限エクストリームもほどほどに。加速の果てに何が見えるか、何が来たるか。だが、しばし省みん、おのれを。ちょっぴりと。
とはいえ、KPOキリンプラザ大阪でヤノベ君がプロデュースした、大阪伝説のアーティスト・榎忠エノチュウの“初の”回顧展オープニングへと駆けつける。これはなにをおいても駆けつけねばならない。髪を半刈りにして「ハンガリー」へ旅した男。万博でシンボルマークを体に焼きつけ裸体で走った男。巨大な鉄のオブジェ・スペースロブスターをつくった男。岩盤が剥き出しになるまで地面を何日も掘り、地球に触わった男。そして、あの女装して客をもてなした幻のバー、ローズ・チュウのマスター。
オープニング・パーティーのスピーチでヤノベ君が「僕はただ、榎さんの作品をこの目で見たい。現実に見たいという思いだけで展覧会を企画しました」と感無量で言ったが、それは僕も、そして、パーティーに参集した多くの人たちも同じ気持ちだったろう。
4階の第1会場にまず足を踏み入れると、まずあの「ハンガリ男」が僕らをむかえ、そして壁面全体にエノチュウの「歴史的決定的写真」が巨大な出力でのばされ、なおかつ、詳細な記録・物語・神話がボード化され解説される。また、切断された鉄塊や、ノートやメモ類、写真など現物のたぐいもケースに満載されている。その他にも映像ブース、そしてミラーボールがきらめく妖あやしのバー・ローズ・チュウが、そっくり再現されているのだ。安っぽいカウンターには、バラの柄がシルクで刷られ、壁の額の中では女装姿のローズ・チュウが下着姿でポーズをとる。冷蔵庫には、小さなTV。そこには1979年のエノチュウの姿がある(昔の映像に加え、新しく撮り下ろしたものも組み合わされ編集してある)。カウンターにすわって見ていたら、隣で「淀川テクニック」の柴田君と松ちゃんがそれを食い入るように見ていて、「ああ、やりたいと思てたことが一つやられている。これって、俺らやん」と詠嘆していたのが印象的だった。そう、エノチュウは、淀テクの未来でもあるのだ。そしてヤノベ君の未来でもある。「オレも何十年かしたらこんな回顧展、誰かがやってくれんのかな」とヤノベ君が笑っていた。
6階へあがると、そこは一転して何もない、闇の中に浮かび上がる巨大な円筒。その上にはエノチュウが削り出した金属が「都市」のパノラマのように並べられている。闇の中を裏へまわってみる。すると階段があり、それは一度に一人しか登れない。順番を待って階段をのぼる。目の前に銀色の無数の尖塔がならぶ。それは別宇宙の機械惑星、はたまた、深海に眠る沈黙の都市。
それはエノチュウが旋盤工を“本職”として勤務しながら、週末に削ってつくり続けた金属の森だ。それは都市に見える。もっとよく見ると、感情や物語を排した、ただ美しい金属の部品があるだけだ。しかし、それらが見る者に、ある種の「聖なる感覚」を呼び起こすことは、実に衝撃的ですらある。何か、正されたような気持ちになるのである。なぜだろう?
都市を見つめるうちに静かに照明が落ち、世界は闇の中に消える。エノチュウの作品を、僕はたしかに見た。それは、僕の記録にくっきりと焼きつけられ、しかし瞬く間に、記憶の底深くへと沈んでいく。アートでありながら、アートを超えてゆくもの、それが目の前に出現していることの奇跡的な感じ。ついぞ体験しなかったことがここにある。
2階のパーティー会場へ降りると、ふだんにないほどごった返していた。エノチュウの作品に、興奮させられた満員の人たち。本当にひさしぶりにハイな気持ちになった僕は、ビールをたて続けに一気2杯飲んだ。会場の真ん中には、「その男、榎忠」がいた。髪を短く刈り、あやしいサングラス、不敵な面。小柄だが黒いスーツをダンディに着込み、胸には赤いバラ。「男がいる」と僕は思い、すぐに駆け寄って「本当におめでとうございます」と叫んでしまった。なんだか、やみくもにうれしかった。アーティストとして生きるということは、普通の人の人生を選ばないということだ。それはハードだし、挫折する者も多いだろう。しかし、少数の生き残る者は、限りないカッコ良さを得る。まさに、削ぎ落とされたカッコよさが、「その男、榎忠」から漂い出ていた。ほれぼれとした。そして愉快な気持ちがこみ上げてくる。この感情は彼の芸術のいかなる力がもたらすものなのか、それを考えた。
「邪気のなさ」。
もし司馬遼太郎が生きていて、奇跡的にここにいたら、そんなコトバを選んだだろうと思う。「邪気のなさ」というのは、子どものもつ力に似ている。しかし「無邪気」という理想化されたイノセントではない。「悪たれ」を経たイノセントといおうか。子どもが、実際には、手がつけられない野蛮でアナーキーであるように、「邪気のなさ」は、邪気をくぐって辿りついた「邪気のなさ」なのである。この目の前にいる怪し気な黒めがねの男、エノチュウを見ていてそう思ったのだ。そしてその光景は、芸術家の勝利を示している。これほど痛快なことが他にあろうか。
大阪というアートの磁場。カラダがカラダへとアートの魂を伝えていく、大阪という場の、よき伝統、いや魂の系譜か。エノチュウ。ヤノベケンジ。淀テク。いや、彼らだけではない。彼らはそれぞれが独立した島、宇宙でありながらも、互いがアートたるものの魂をカラダで共振・共感させあっている。アタマで前衛を知ってゆくのではない。カラダで知り、伝承してゆくのだ。これは大阪という場が醸成してきた快楽原理とも結びついている。「オモロイ」が最高の褒めことばであり、そのカンタンなフレーズにすべてのニュアンスがこめられる。いや、その感覚は「芸術」というより「芸能」がもつ力の回路に限りなく近いだろう。「前衛芸能」としての芸術。それはアートであれ笑いであれ、ポエジーであれ、大阪がうみ出す最良の質ではないか。
「その男、榎忠」のことは、今日をスタートに、猛烈なスピードで口から口へ伝わってゆくだろう。そして、来たる者は心身を正され、そして愉快な気持ちで解き放たれてゆくだろう。週末にはエノチュウが女装し、4階で特設バー・ローズ・チュウを開店するという。さっそく繰り出して飲んだくれてやろう。
朝、のぞみに飛び乗り、新大阪から新宿パークハイアットへ。『ラストデイズ』で来日したガス・ヴァン・サントと再会。10年間で3回目。断片、ポリフォニックな物語のつくり方の話、カート・コバーンが「森から来た人」であり、彼の音楽が、チェーンソーと森が切られて倒れる音と関係しているとガスは言った。彼とは、彼が2年前に京都へ来た時に、座禅をしに行ったことがあって、本当に気があう。いつかいっしょに仕事をしたいと思う。また会いましょう、ガス。
このインタビューは『high fashion』で僕が連載している「非定型対談」のシリーズのためのもので、今まですでに、菊地成孔、ティルマンス、エグルストン、V・ウエストウッド、ヴェンダースなどをやった。ポートレイトはすべて新鋭写真家・在本彌生に頼んでいる。実は今、彼女のはじめての写真集を編集中なのだが(デザインは中島英樹)、これは一時流行った「女の子写真」などというものからすれば、極北のものだ。いい意味での野蛮、異質、グローバリゼーションの中での交わり、移動がテーマとなっている。僕自身'90年代は、高橋恭司に始まる「写真の季節」だったが、因果はめぐる。在本のカウガール・ブルースっぽい、女の中の男っぽさが漂う彼女の生々しい写真にふれていると、また「写真の季節」の風が吹いてくるのが強く感じられる。magicalでも参加してくれた塩田正幸の写真も、まるでスタイルはちがうが同じ匂いの「写真」のエクスタシーをつよく感じる。在本の写真集は4月中旬発刊の予定。その後、この『high fashion』の連載を発展拡大して来年には、「写真・人・移動」をテーマにしたコラボ本『ノマディズム 愛/写真』を出版しようと考えている。ロラン・バルトが言った「写真のエクスタシー」へ辿りつくための「愛」、そして、この流動化する世界の中で写真について考え、論じ、写真をつくること。そのリアルな過程を在本といっしょに作業してみようと考えている。これは、ある意味では僕にとり、'90年代に写真についてやった作業を、未来へむけて放り投げてみることになるだろう。
表参道ヒルズのオープンでごった返している。原宿の竹下口にある喫茶ノアで、いつものようにリトル・モアの孫君と待ちあわせ、打ち合わせ。EYEの作品集『ONGALOO(オンガルー)』(恩がある、音がある、カンガルー、考える)は、あの10年前の『NANOO』の続篇。いよいよ編集スタートした。それから、新世紀に入ってはじめてのリトル・モアでの「日記本」も。タイトルは『新しい星へ旅をするために』。『エスクァイア』誌でやったティルマンスへの取材などで構成される。
京都、夜歩く
翌日、再び大阪へ行き、朝は工芸高校の合評会でしゃべる。夕方、ARTZONE。六曜社でEYEちゃんとタクちゃんとお茶。EYEちゃんはなんと六曜社に入るのは初めてだと言う! 『ONGALOO』本の打ち合わせ。そして、ARTZONEでの展覧会の搬出。その前にポラでEYEの作品の中にある「目玉」だけを撮る。
夜、姉小路のパークへ寄る。シンちゃんのつくるメシは、いつも、なんて「気がきいている」んだろう。グラスの赤ワインを2杯。うまいサラダを食い、彼がつくった特製のチキン・スパゲティを夢中で食う。「気がきいている」という表現は僕にとって最高の褒めことば。忙しく移動していると急に、あの味が恋しくなる。また寄るから、たのむぜ。
酒で体をあたため、寒い京都の街を歩くのが好きだ。顔はつめたいが何か生き生きしてくる。パークを出て、烏丸丸太町まで歩く。家や店から洩れてくる光が、次々に消えてゆく。夜が更けてゆく。日曜の夜の京都は本当に静かだ。今日は、まっ黒で、雲ひとつない空に、まあるい月が光っている。ふと見ると、ある路地の植え込みに、竜舌蘭が植えてあり、葉の先から長く尖った花芽が出ていた。そこにたくさんの花が銀色の鈴のように並んでいた。枯れているのか。暗闇ではわからない。いやしかし、花に触わると、それは弾力があって、とても生々しく官能的な触覚だった(もっとも、革手袋越しにさわったのだが)。
何だか、ますますいい気持ちになる。鼻歌をうたったり、大声で独り言をいってみたり。そうだ、帰ったら、青山二郎についての原稿を書かなくっちゃな。わすれてたよ。うっかりしてた。